AIの進化は、マーケティングリサーチの業務効率化だけでなく、企業の意思決定や価値創造のあり方にも大きな変化をもたらそうとしています。本コラムでは、市場調査会社と事業会社の双方でリサーチおよび組織マネジメントに携わってきた高橋直樹氏が、豊富な実務経験と国内外の事例をもとに、AI時代のリサーチとビジネスの未来を考察します。
| 【連載】AIはどのようにリサーチとビジネスを進化させるか?(全5回) |
|---|
| 第1回:プロローグと5段階仮説 |
| 第2回:リサーチ業務の効率化と調査の代替 |
| 第3回:意思決定の自動化 |
| 第4回:企業認知の進化 |
| 第5回:企業統治の進化←今回はこちら |
執筆者プロフィール

高橋 直樹
日本マーケティング協会(JMRA)リサーチイノベーション委員
元日産自動車株式会社 コーポレート市場情報統括本部部長、エキスパートリーダー
プロフィール
株式会社インテージにて、調査員管理・実査管理・調査企画・コンサルテーションなど幅広いビジネスフェーズを担当。さまざまな業界の市場調査、データ分析、マーケティングコンサルティング、ネット視聴率事業統括などに従事。日産自動車株式会社にて、グローバルリサーチ組織のマネジメント、リサーチ手法・体系の開発とそのグローバル管理、組織教育体系の構築・運営などを主導。商品企画やブランドマネジメントなど組織を横断したビジネスプロセス変革プロジェクトをリードし、その中で日産初のマーケティングROI評価の手法とそれに基づくマーケティング予算配分の仕組みを開発・導入。
AIはどのようにリサーチとビジネスを進化させるか?
このコラムは、AIの活用を5つの進展段階で捉え、AIの機能と役割がどのように進化するか、それに応じて人間の役割はどのように変わっていくかを推測を交えて論じている。
| Stage | AIの役割 | 概要 |
|---|---|---|
| Stage1 | 業務代替・効率化 | 調査を遂行するプロセスの一部をAIが代替・自動化して高速化・省力化する |
| Stage2 | リサーチそのものの代替 | コンシューマーペルソナなど、消費者理解そのものを生成する |
| Stage3 | 意思決定システムへの統合 | マーケティングプロセス全体を統合して最適化し、その意思決定を支援・自動化する |
| Stage4 | 企業認知の進化 | 経営者が問うべき問いを発見し、未認識の機会・脅威・価値観を提示する |
| Stage5 | 企業統治の進化 | 複数のAIが相互に牽制・協調しながら、企業統治の制度自体を動的に設計・改善する |
AIによるリサーチとビジネスの進化5段階仮説
第1〜4回では、そのプロローグとなる事例、5つの段階の概要、Stage1から4までを紹介した。
5回シリーズの最終回では、Stage5について議論する。
Stage5:企業統治の進化:AIが企業統治の制度を設計・改善する
さていよいよ最終段階だが、ここまでくるとどこまで的を射ているか自信がないが行けるところまで行ってみよう。
AIが進化しても、人間に残される役割とは
Stage4で、意思決定者のエージェント化に触れたが、そこまでくるとビジネスにおいて人間は何をすることになるのだろうか? 設立趣意書に企業の使命、事業の目的、価値観などを書き、資金を集めたらそこで人間の役割は終わりで、あとは全てAIに任せれば良いのだろうか?
何かあるとすればその筆頭は、責任を取ること、であろう。企業には社会的責任がある。有限責任だったとしても、その責任は最終的に人間が負うことになる。たとえば、自動運転車のエラーに起因する事故で人が死んだとする。AIの論理では、遺族に補償金を払います、学習をより進めて再発防止策を立案・実行します、そうした事態に対処できるよう引当金を積み増します、ということだけになってしまうが、実際の社会ではそれでは済まされない。事業の管理責任者が罰を受けるなどして社会的責任を負わなければならないのだ。人間は、(最低限)社会に害をなすことをしないコミットメントを求められているからだ。(この辺り、刑法論の専門家ではないので誤りや見落としが多々あるのではと思われるがご容赦いただきたい。)結果的に、人間は高いリスクを負うことを避けるので、そうした判断に対しては慎重になる。
そうなるとリスクマネジメントの巧拙が企業業績を分けるようになる。AIでビジネスを進化させてきた企業にとっては、人間によるリスク対処能力が最後に残った不確定要因ということになるだろう。そうなると、これをAIにサポートさせようということになって然るべきである。
リスクは複数の視点から捉える必要がある
ではAIがリスク計算をして、「この案件の利益の期待値は100億円ですが、5%の確率で200億円の損失が出る可能性があります」と報告して終わりかというと、そうはならない。リスクの捉え方とそのインパクトの見積り方が視点によって異なるからだ。「5%の確率で200億円の損失」という財務的視点の他に、社外ステークホルダーへの影響という視点、社員の士気や他の大規模投資案件への影響など社内のモチベーションという視点、会社のミッションとの整合性という視点など、さまざまな視点によってインパクトの大きさが異なるし、視点ごとのリスクは互いに影響を与え合う。そしてそれらのウエイト配分は、状況やタイミング、そしてそれら全てを勘案する意思決定者によって全く異なる。
複数のAIエージェントがリスクを予見し、企業統治を支える
そうなると考えられるのは、各視点を担当するAIエージェントが互いに牽制・協調しながら、リスクの予測とリスク低減策の提案を行ない、最終決定は複数の人間が行なうというスキームである。このスキームは、企業統治モデルそのものである。企業の運営は、人間に対するこうしたデレゲーションとそれらの統合で成り立っていると言える。それをAIが大幅にそして自律的にサポートするのである。それを十全に行えるようにするには(つまりAIが持てる能力をフルに発揮できるようにするには)、統治の体制も、例えば下記のように変える必要があるのではないかと思う。
| レイヤー | 更新頻度 | 内容 | 担当 |
|---|---|---|---|
| 企業目的 | 数年〜十数年 | 企業のミッション、価値観、存在理由、提供価値 | 複数の人間(経営層) |
| 戦略仮説 | 数週間〜数ヶ月 | 市場・顧客・競争・技術などに関する前提・戦略 | AIエージェントが生成・更新し、人間が重要な転換点を承認 |
| 施策実行方針 | リアルタイム | 価格、営業、調査、採用、投資など日々の業務の最適化 | 各AIエージェント |
統治モデルの構造は、意思決定のレイヤーが軸になる。さまざまな種類の意思決定を、その影響が及ぶ範囲と時間軸によってまとめたのがレイヤーだ。上のレイヤーほど人間が決めるウエイトが高く、下に行くほどAIが主役(もしくは完全自律)となる。
AIの機能と役割:企業統治をサポートする制度進化エンジン
複数のAIエージェントが相互に牽制・協調しながら、企業統治の制度自体を動的に設計・改善することになる。AIは企業統治をサポートする制度進化エンジンとでも呼べる存在になる。
人間の役割:企業の価値観を定め責任を担う存在理由定義者
人間は、企業の目的・価値観を定義し、最終的な社会的責任を担う。ステークホルダーとの合意形成を行い、「どのような企業でありたいか」を決定する存在理由定義者ということになるだろう。
リサーチ機能に新たに求められる能力
もはやリサーチといった領域を超える。こうした企業に求められる人間の能力は何かを考えると、制度設計、組織変革、コーポレートガバナンス、リスクマネジメント、AI監査、企業パーパス設計などではないだろうか。
既存の能力で対応できる部分領域
かなり限られる。ステークホルダー調査、社会的受容性評価、統治モデルに対する社会反応の測定などが挙げられるかもしれない。
Stage1からStage5までを振り返る
第2回から論じてきたStage1から5までの段階を俯瞰してみよう(図3、4)。


ほぼ思考実験のようなやり方でここまで考察を進めてきたが、Stage1と2は現在進行中のものだし、Stage3と4の姿はリサーチの存在意義に則ると論理的に導き出されるものと言って良いと思うので、Stage5以外はかなり確信を持っている。Stage5は焦点の置き方によっては違った姿や側面になるかもしれないが、AIがサポートするものが、情報収集→意思決定→企業統治と進展するのは、「ビジネスに直結し、人間にとって負担が大きいもの」の難易度を高い方向に辿っており、それなりの納得度を感じていただけるのではないか。
企業価値を決めるのは企業と社会をつなぐ“人間”
Stageが上がるにつれて、人間はその仕事をAIに明け渡していくが、Stage4や5で残るのは企業の存在意義や依って立つ価値を決めることだった。では、その「価値」はどうやって決まると考えればいいのか。
企業側の人間の意思で決め、企業はそれに基づいてビジネスを進めるが、社会が求めない価値を掲げる企業は淘汰される。逆に社会が求めるものだけを価値と定めると、(たとえ将来を読んだつもりでも)他社と似たり寄ったりとなり競合が激しくなってやはり淘汰されていく。企業が提示した価値を社会が受け入れ、それに依って社会が求めるものが変化し、それを踏まえてさらに企業が別の価値を提示する。企業の価値はこうした相互作用の中で淘汰され進化していく。言い換えると、企業側の人間と社会が決めていくのである。
そして企業と社会をつなぐのは人間にしかできない。なぜなら社会は人間によって構成されているからだ。考えてみれば当たり前のことではあるが、AIがどこまで人間にとって替われるかを考えてきて、最後に残った数少ない役割の一つが、企業と社会をつなぐという機能だという結論は、ビジネスにおける人間のミッションをあらためて示唆するものなのではないだろうか。
単独判断に依存しない、人間もAIも複数視点による企業統治へ
もう一つStage5で示唆的だと考えるのは、複数のAIによる相互監視と協調という統治体制が意味するところである。AIは極めて優秀だが、では極めて優秀な頭脳が一つあれば企業が運営できるかというとそうではない。目的変数が一つしかないからだ。
アーサー・C・クラーク作の「2001年宇宙の旅」では、宇宙船のコントロールを一手に任されたコンピューターのHALが、乗組員を殺してまでミッションを遂行しようとする。同様に、企業のガバナンスは一系統だけでは危うい。だから立場や視点が異なるAIによる共同統治が必要で、そのための多様性の設計が大事だと言えるのではないか。
同様の理由で、統治する人間側にもそれぞれ異なる視点を担う複数の統治担当者が必要だということになろう。つまり、企業の究極のミニマムな姿は、複数の人間による統治と複数系統のマルチAIエージェントによる運営、というものになるのではないかと想像できる。
よくある質問
Q.
リスクマネジメントにおけるAIの役割をもう少し説明してください。
A.
リスクを複数の視点で管理しないといけませんが、異なる視点からのリスクの大きさを比較できないといけないので、共通の単位で定量化する必要があります。そこでAIにリスクの大きさ(確率X損失)を金銭価値として予測させ、それらを並べて人間が判断することになると考えられます。
Q.
AIに企業統治のサポートをさせるために統治体制を変える必要がある、という理由をもう少し説明してください。
A.
人間の能力は有限なので、営業、人事など、専門性を軸に組織を作る(似たような有限能力を持つ人を集める)というのが、人間だけからなる企業の体制です。しかしAIの能力は原理的に無限であり、企業内の情報全てを把握し、すべての機能を実行できます。従って、AIに任せる役割に応じて全く異なる軸による体制構築をした方が、AIの実力発揮と人間の統治容易性の両面から理にかなっていると考えられます。
Q.
無限の能力を持つAIに専門性による組織区分が必要ないのであれば、リサーチ業や広告業といった企業の業界の区分もAIの活用によって変わっていくのでしょうか?
A.
あり得ると思います。ビジネス機能区分ではなく、顧客となる消費者(BtoC)や企業(BtoB)に提供する価値の種類を軸に区分する、例えば、「消費者の心と体の健康を維持・増進するビジネス」「企業における社員のROIを最大化するビジネス」などが生まれてくるかもしれません。
AIが企業統治を支え、人間が提供価値定義と責任を担う
意思決定に伴うリスクマネジメントは、最後まで残る最も難しいビジネス課題である。AIの能力が究極まで拡大すると、これもAIが担うようになり、そうした体制に最適化するように企業の統治制度を変えていくことになる。最後に残る人間の役割は、企業の目的・価値を定義することと、意思決定に伴う社会的責任を引き受けることである。企業と社会をつなぐことが、人間が事業を運営する上での最後のミッションと考えられる。
人間の導きのもとで、AIにビジネスを進化させる
第1回から今回まで、AIがどのようにリサーチとビジネスを進化させるかを考えてきた。現時点では、既存のプロセスの作業の肩代わりをAIにさせようとしているに過ぎないが、そうしたプロセス全体を変えていく能力をAIは持っているだろうし、そうなっていくだろうと考える。AIに任せる領域は際限なく広がるだろうし、そこに制限を設けるべきではないのではないか。人間はAIというとてつもなく優秀な部下を持ったのだ。しかし優秀だからといって、これを上司にしてはならない。松下幸之助のマネジメント論として知られる「従いつつ導く」を拡大解釈して適用できるのではないか。AIはビジネスの進め方、ビジネスのあり方、さらには人間の役割をも進化させる。しかし、そうした進化のしかた全体を構想・設計し導くのは人間なのである。
執筆者プロフィール

高橋 直樹
日本マーケティング協会(JMRA)リサーチイノベーション委員
元日産自動車株式会社 コーポレート市場情報統括本部部長、エキスパートリーダー
プロフィール
株式会社インテージにて、調査員管理・実査管理・調査企画・コンサルテーションなど幅広いビジネスフェーズを担当。さまざまな業界の市場調査、データ分析、マーケティングコンサルティング、ネット視聴率事業統括などに従事。日産自動車株式会社にて、グローバルリサーチ組織のマネジメント、リサーチ手法・体系の開発とそのグローバル管理、組織教育体系の構築・運営などを主導。商品企画やブランドマネジメントなど組織を横断したビジネスプロセス変革プロジェクトをリードし、その中で日産初のマーケティングROI評価の手法とそれに基づくマーケティング予算配分の仕組みを開発・導入。
専攻
ノースウェスタン大学MBA
著書・監修/セミナー登壇など
ESOMAR (European Society for Opinion and Marketing Research)、JMRA、JMA(日本マーケティング協会)など業界団体主催のカンファレンスやセミナー、企業などでの講演多数。ESOMARカンファレンスプログラム委員やアドバイザー、JMAのマーケティングサイエンス研究会コーディネーターをつとめる。さらに、日本インフォメーションが運営するセミナーアーカイブサイト「NIリサーチアカデミー」の登壇講師としても知見を発信している。京都大学経営管理大学院、立命館大学大学院、中央大学ビジネススクール、早稲田大学、慶應大学、立教大学、明治大学、横浜国立大学、滋賀大学、琉球大学などで非常勤講師・客員講師として講義。関東学生マーケティング大会実務家審査員を10年つとめる。
共訳「マーケティング戦略論」(2001年ダイヤモンド社)、「統合マーケティング戦略論」(2003年ダイヤモンド社)。

執筆者登壇セミナー公開中
本コラムの執筆者が登壇した「ビジネスをリードするリサーチ機能になるためのポイント」シリーズを、アーカイブサイトで公開しています。リサーチャーやマーケターが、組織の意思決定により深く貢献するための考え方をご紹介します。