AIの進化は、マーケティングリサーチの業務効率化だけでなく、企業の意思決定や価値創造のあり方にも大きな変化をもたらそうとしています。本コラムでは、市場調査会社と事業会社の双方でリサーチおよび組織マネジメントに携わってきた高橋直樹氏が、豊富な実務経験と国内外の事例をもとに、AI時代のリサーチとビジネスの未来を考察します。

執筆者プロフィール

高橋 直樹

日本マーケティング協会(JMRA)リサーチイノベーション委員
元日産自動車株式会社 コーポレート市場情報統括本部部長、エキスパートリーダー

プロフィール
株式会社インテージにて、調査員管理・実査管理・調査企画・コンサルテーションなど幅広いビジネスフェーズを担当。さまざまな業界の市場調査、データ分析、マーケティングコンサルティング、ネット視聴率事業統括などに従事。日産自動車株式会社にて、グローバルリサーチ組織のマネジメント、リサーチ手法・体系の開発とそのグローバル管理、組織教育体系の構築・運営などを主導。商品企画やブランドマネジメントなど組織を横断したビジネスプロセス変革プロジェクトをリードし、その中で日産初のマーケティングROI評価の手法とそれに基づくマーケティング予算配分の仕組みを開発・導入。


AIはどのようにリサーチとビジネスを進化させるか?

AIは社会に大きなインパクトを与えており、今後それがどこまで大きくなるのか想像もつかないほどだ。ビジネス全体やリサーチの世界でもその影響は計り知れないほど大きい。目下の取り組みは、AI活用によるリサーチ業務の効率化・高速化やリサーチの代替に焦点が置かれているが、AIの影響はそれだけにはとどまらないことが容易に想像される。ではリサーチというビジネスは何を見据えてAIと対峙すれば良いのだろうか?

このコラムは、AIの活用を5つの進展段階で捉え、AIの機能と役割がどのように進化するか、それに応じて人間の役割はどのように変わっていくかを推測を交えて論じている。

5回シリーズの第1回では、プロローグと5つの段階の概要を議論する。

【連載】AIはどのようにリサーチとビジネスを進化させるか?(全5回)
 第1回:プロローグと5段階仮説 ←今回はこちら
 第2回:リサーチ業務の効率化と調査の代替
 第3回:意思決定の自動化
 第4回:企業認知の進化
 第5回:企業統治の進化

AI時代のリサーチを、実務経験から考える

著者は2025年に現役を引退しており、「AI時代に会社のビジネスをリードした経験がある」とは言えない。ただ、現役時代には揺籃期のAIを部分的に使った経験はあり、過去数十年にわたるリサーチの機能・役割の発展の現場にいた。そうした過去からの推移と、昨今のAIが可能にしていることを踏まえると、近い将来、AIをこのように使っていけるはずという構想を持つことはできる。そこで、もし今、事業会社のリサーチを任されたら何に取り組みたいと考えるかという立ち位置でこのコラムを執筆することにしたい。実際に責任を取らなくていいから好き勝手なことを言っていると思う読者の方もいらっしゃるだろうし、そう言われると何も反論できないのだが、こういう見方もできるかもしれないとご笑読いただけたら幸いである。

私が驚嘆した海外のAI活用事例

まずは、私自身が驚嘆したエピソードをご紹介したい。 2022年にESOMAR(リサーチやインサイトの世界最大の業界組織)のアジアにおけるカンファレンスで、私はパネルディスカッションの議長をつとめた。その時のパネル登壇者の一人が、中国の外資系トイレタリーメーカーのリサーチ部門責任者で、ディスカッションの中でAIの高度な利用について言及した。非常に興味深い内容になりそうだったが、時間の都合上、深く触れることができなかった。内容がどうしても気になった私は、彼に頼んで別途オンラインミーティングで詳細について聞かせてもらうことにした。

リサーチデータベースを基盤とした商品企画自動生成システム

そこで彼が紹介してくれたのは、まさにAIによる消費者理解とマーケティング企画立案の統合の仕組みだったのである。

彼の会社では、ほぼ毎週のペースで、マーケターとリサーチャーが一緒に消費者のお宅を訪問してエスノ的オブザベーションをするのが必須の活動になっており、そこで得られた動画、静止画、インタビュー録音、オブザーバーの気付きメモなどが全てデータベースに格納されており、誰もが検索・閲覧することができた。そのデータベースには、競合製品の市場データ、製品特徴、パッケージ画像、CM動画なども格納されている。彼が作り上げたのは、そのデータベースを活用した商品企画自動生成システムとでも呼べるものだった。

ニーズ探索・商品企画・販売予測までをシームレスに行なう驚きの機能

少し長くなるが、その機能を紹介しよう。

例えば、洗濯用洗剤の商品企画担当者がこのシステムを使うとする。洗濯や衣類の汚れに関するデータベースの中から、消費者のペインポイントのキーワードが一覧できるので、そこから「衣類のシミ汚れ」を選ぶとする。すると、インタビューでシミ汚れに関する言及がされた発言録やシミ汚れの写真などが表示される。そこでシミ汚れ除去に焦点を当てた商品を開発することにする。商品概要とシミ汚れに効果がある洗剤成分を入力すると、商品コンセプト文とパッケージの案がいくつか自動生成される。その中から商品化したいものを選ぶと、同様のベネフィットを訴求している市場の商品を特定し、商品の認知率、CM投下量、配荷率が推奨され、その想定のもとで販売額の予測値をアウトプットしてくれる。それが気に入らなければ商品コンセプト、パッケージ、マーケティング資源投下量などを修正してシミュレーションを進めることができる。

こうした一連のプロセスは、単一のプラットフォーム上でシームレスに進めることができる。彼はオンラインミーティングで実際にデモをして見せてくれたが、簡単な操作でこれら全てが完了した。こうしたことはAIの進化によって近いうちにできるようになるに違いないと予想はしていたが、まさかこれほどプロセス全体を網羅した仕組みをすでに実装しているところがあるとはと驚愕した。

リサーチ部門が自ら構想・開発し、実装・浸透までを主導した

それだけでも充分驚嘆に値するが、しかし私が最も驚嘆したのはそこではない。それを作り上げた経緯である。彼は現地採用の中国人で、基本的にリサーチャーである。その彼が、こうした商品企画のあり方やそのための仕組みが可能だし必要だと、マーケティング部門にも誰にも頼まれることなく独自に構想し、自分はプログラムが書けないのでデータサイエンティストを新たに数人雇って自らの構想をシステムとして完成させた。そしてリサーチ部門の金と人だけでいわば勝手に作り上げたこの仕組みを、皆さんどうぞ使ってくださいと社内公開したのだ。

これは単にツールの開発でもなければ新しい枠組みの提案にとどまるものでもない。相手から問われてもいないことを先んじて発想・開発しただけでなく、相手に見せて受け入れられるのを待つかわりに、さっさと使わせてしまって浸透を促進しているのである。私はミーティングの間、ひたすら「Oh my gosh!」を連発することしかできなかった。

新しいビジネスのあり方を発想し、実現するリサーチ機能

リサーチは会社のビジネスをリードすべきだというのが私の持論だが、これはそれを具現する一つのあり方の完璧な事例と言えよう。今の日本に、こうした発想と行動力を持つリサーチ部門があるだろうか。これは4年前のことなのだ。日本の会社で今から同じものを作って実装しようとすると3年はかかるのではないだろうか。彼の会社に7年は遅れていることになるし、イニシアチブという点ではさらに隔たりがあるように思える。

AIによるリサーチとビジネスの進化5段階仮説

こうした事例のように、AIによって、リサーチとそれが関わるビジネス全体の在り方・進め方が大きく変わることは間違いないだろう。しかしAI自体は今後ますます高度化するだろうし、人間側の活用・受容の度合いや方向性も多様に変化するだろう。我々は今、可能性とカオスの真っ只中にいる。

変化の時代には、シナリオを持つことが重要

こういう時期には、仮のものでいいから、今後を時間軸で俯瞰するシナリオを持っておくことが肝要だ。それに基づいて構想・計画し、シナリオ自体をアップデートしながら構想や計画もどんどん変えていけばいいのである。そうすることで、今起きていることへの場当たり的な対応を防ぎ、経験と事例に学びながら自らを進化させることができる。猛吹雪のアルプス山中で遭難した軍隊が、1枚だけ手元にあった地図を頼りになんとか下山することができたが、後で確認するとその地図はアルプス山脈ではなくピレネー山脈のものだった、という有名な逸話と似ている。この逸話の地図は空間だが、私たちに今必要なシナリオ仮説は時間の地図だ。

筆者が考える、リサーチとビジネスの進化5段階仮説

幸か不幸か、AIによってリサーチとそれが関わるビジネス全体がどのように進化していくのかについての有力なシナリオが見当たらない(私が知らないだけかもしれないが)ので、私が想定している下記の5段階シナリオに則って本稿を進めることにしたい。このシナリオはできるだけ論理的に考えたもので、個人的な理想像や意図は排除したつもりである。

StageAIの役割概要
Stage1業務代替・効率化調査を遂行するプロセスの一部をAIが代替・自動化して高速化・省力化する
Stage2リサーチそのものの代替コンシューマーペルソナなど、消費者理解そのものを生成する
Stage3意思決定システムへの統合マーケティングプロセス全体を統合して最適化し、その意思決定を支援・自動化する
Stage4企業認知の進化経営者が問うべき問いを発見し、未認識の機会・脅威・価値観を提示する
Stage5企業統治の進化複数のAIが相互に牽制・協調しながら、企業統治の制度自体を動的に設計・改善する

各Stageの詳説においては、下記の観点で議論を進める。

  • そのStageにおけるAIの機能と役割
  • 人間の役割
  • 活用するリサーチ機能に新たに求められる能力
  • 既存の能力で対応できる領域

よくある質問

Q.

中国の会社の事例のようなことは、誰もができるわけではないのではないでしょうか?

同じレベルや規模では難しいかもしれませんが、どんなものでもいいから、まず何かを始めることが大事だと思います。ある部署が始めたことは別の部署に刺激を与えます。刺激を与え合う起点となる部署がたくさんある会社が、変動の時代に成長していけるのだと思います。「うちじゃ難しい」と諦めないことです。

Q.

「まず何かを始めること」がそもそも難しいのですが・・・

よくわかります。そういう時は、仲間を探すことです。似たような思いや発想を持っている人は、会社のどこかに必ずいます。仲間を見つけるには、メッセージを発信することです。それに反応してきた人たちと、アイデアを出し合い、協力し合えば、何らかの変化を生み出すことはできると思います。

Q.

5段階の仮説がピンと来ません。

誰か偉い先生が言っているわけでも、すでにどこかで実現されているわけではありませんから、これが正解というわけでは全然ありません。次回から詳説していきますので、それに対して同感や異論を持って、考えるきっかけにしていただければ幸いです。

変化の時代に求められるのは、自ら構想し行動すること

このコラムで提示する5段階モデルは、これが正しいと主張するつもりはもちろんない。人によって異なる観点による異なる進展モデルが想定できるであろう。こうした変革の時代に最も大事なことは、各自が将来像を冷静に描き、それに基づいて構想し行動することだ。後にその見通しが誤っていたことがわかっても、自らの行動から得られた学びが、次なる将来像・構想・行動のサイクルを駆り立てる原動力となる。

リサーチは誰かから求められてからではなく、誰かのサポートという立場でもなく、自らの思考と資源でこのサイクルを起動すべきである。そうしない組織は、そうしている組織に劣後することになる。

次回はStage1とStage2について議論を始める。

AIはどのようにリサーチとビジネスを進化させるか?

第2回:リサーチ業務の効率化と調査の代替

執筆者プロフィール

高橋 直樹

日本マーケティング協会(JMRA)リサーチイノベーション委員
元日産自動車株式会社 コーポレート市場情報統括本部部長、エキスパートリーダー

プロフィール
株式会社インテージにて、調査員管理・実査管理・調査企画・コンサルテーションなど幅広いビジネスフェーズを担当。さまざまな業界の市場調査、データ分析、マーケティングコンサルティング、ネット視聴率事業統括などに従事。日産自動車株式会社にて、グローバルリサーチ組織のマネジメント、リサーチ手法・体系の開発とそのグローバル管理、組織教育体系の構築・運営などを主導。商品企画やブランドマネジメントなど組織を横断したビジネスプロセス変革プロジェクトをリードし、その中で日産初のマーケティングROI評価の手法とそれに基づくマーケティング予算配分の仕組みを開発・導入。

専攻
ノースウェスタン大学MBA

著書・監修/セミナー登壇など 
ESOMAR (European Society for Opinion and Marketing Research)、JMRA、JMA(日本マーケティング協会)など業界団体主催のカンファレンスやセミナー、企業などでの講演多数。ESOMARカンファレンスプログラム委員やアドバイザー、JMAのマーケティングサイエンス研究会コーディネーターをつとめる。さらに、日本インフォメーションが運営するセミナーアーカイブサイト「NIリサーチアカデミー」の登壇講師としても知見を発信している。京都大学経営管理大学院、立命館大学大学院、中央大学ビジネススクール、早稲田大学、慶應大学、立教大学、明治大学、横浜国立大学、滋賀大学、琉球大学などで非常勤講師・客員講師として講義。関東学生マーケティング大会実務家審査員を10年つとめる。
共訳「マーケティング戦略論」(2001年ダイヤモンド社)「統合マーケティング戦略論」(2003年ダイヤモンド社)