新商品や新規事業の開発には、生活者の変化や市場の兆しを捉え、それを価値あるアイデアへとつなげる視点が欠かせません。そこで本連載では、消費財メーカーにおいて長年にわたり生活者研究や事業開発に携わってきた太田氏をお迎えし、新商品・新規事業開発を進めるうえで押さえておきたい考え方や実践のポイントをご紹介いただきます。
| 【連載】新規事業・新商品開発に必要な3つの「目」(全3回) |
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| その1:魚の目 |
| その2:虫の目 ←今回はこちら |
| その3:鳥の目 |
執筆者プロフィール

太田 恵理子(おおた えりこ)
一般社団法人 ワークフルネス 理事
プロフィール
キリンビール株式会社入社後、途中スイス・チューリヒへの遊学をはさみ、キリングループ内で40年以上にわたり、マーケティングと事業戦略策定に従事。自ら立ち上げたキリン食生活文化研究所では、生活者や社会の変化を捉えた経営への提言と、社内外との新価値共創を行ってきた。キリンホールディングスを退社後も人生100年時代のウェルビーイングに関する研究を続けている。専門はデザイン思考に基づくリサーチと生活者インサイト分析、シナリオ・プランニング。
はじめに
第1回のテーマは、トレンドを読む「魚の目」でした。身近で見聞きしたニュースなどに「違和感」をもったときや、世論調査やアンケート結果など数値のトレンドに今までとは違う傾向が出現したとき、「違和感」や「変化」の背景を掘り下げてみる。それによって社会の変化に目を向け、新規事業や新商品のアイデアにつなげていく、というプロセスについてお話しました。
ここで出てきたアイデアを、新規事業や新商品に結実させる際に欠かせないステップに、想定ターゲットへのインタビュー(定性調査)があります。最近では、調査対象者と1対1でコミュニケーションを行う、デプスインタビューという手法がとられることが多くなっています。この、一人の生活者(N=1)を深掘りしていくプロセスこそが、「虫の目」なのです。
「虫の目」でインサイトを発見する
1対1のインタビューを通じて、生活者自身も気づいていない、あるいは言語化できていない「インサイト」をくみ取っていくのが、デプスインタビューの醍醐味です。デプスインタビューでは、対象者の暮らしぶりや日々の過ごし方、大切にしていることや将来の夢、その夢をはばんでいるハードルなどを、じっくり聞きだしていきます。話された内容からさらに深掘りする質問を繰り返すことで、対象者の心を動かすポイントである「インサイト」を浮き彫りにしていくのです。
AIペルソナでもよいのでは?
インタビュー結果は、マーケティング実務の中でどのように活用していくのでしょうか。インタビューを何人か行えば、想定ターゲットが共通して感じている「不」や、実現したい「想い」、またそうした感情を持つにいたった「経緯」などが明らかになるでしょう。たとえば、65歳のシニア女性の場合、以下のようなことが見えてくるかもしれません。
「不」:加齢に伴い体力が低下してきた。疲れやすい。疲れが抜けない
「想い」:元気なうちに今までに行ったことのない場所を旅したい
「経緯」:自分の親の介護経験、同世代の友人が突然入院した
これらをもとに、たとえば「今ある元気をしっかり保ち、いくつになってもやりたいことを実現できる身体」という訴求ポイントを持つサプリメントを開発・導入していくのが、マーケティングのプロセスです。
これなら、最近精度が高まってきたといわれる「AIペルソナ」を使えば、わざわざ時間や費用がかかるデプスインタビューを行わなくてもよいのでは、と思う人も多そうです。そもそも「ペルソナ」とは、複数のインタビュー結果を基に、理想的な一人の顧客像を作り出す手法のこと。従来のマーケティングプロセスで、インタビュー後にしばしば用いられてきました。それに対し「AIペルソナ」は、既存のアンケート調査や行動データなどをベースに、生成AIの助けを用いて作り上げた“ペルソナ的”なものです。もちろんこの「AIペルソナ」と壁打ちすることで、訴求メッセージやパッケージデザイン、ランディングページに必要な要素などを、組み立てていくことができます。
AIペルソナの問題点
私は、AIペルソナの一番の問題点は、そのペルソナが“実在しない”ことだと思っています。「そんな感じの人」は確かに居そうですが、AIペルソナが描くのは、過去の調査結果等から見えてくる、ある生活者セグメントの「平均値」でしかありません。もちろんこれを、商品やコミュニケーション設計の最初のたたき台として使うのは、外れを避けるという意味では効率的だと言えます。とはいえ、AIペルソナからの情報だけでは、なんとなくイメージできる「こんな感じの人」というレベルで、生活者を理解したつもりになっているに過ぎないのです。そこからは生活者の血の通った想いは見えてこない。だからメッセージを組み立てても、「確かに言われていることはわかるけれど、どうしても欲しいものではない」と、生活者は感じてしまうのです。
デプスインタビューを経て、対象者に「憑依」する
一方、デプスインタビューを行って何人かのインタビューを経ると、特に「この人を幸せにしたい!」という対象者が見つかってきます。私たちは、この「N=1」である「その人自身」の声に耳を傾けます。生まれてから今日までの「その人」の生活を想像し、一日の過ごし方を疑似体験し、将来についての希望や不安を一緒になって感じ、次第に「その人自身」になりきっていきます。これを「憑依」すると言います。
「憑依」とは、「その人」のように考え、「その人」のように行動できるようになることです。そして「憑依」のプロセスを経ることで、どんな時に、どんなきっかけで心が動くのかを感じ取ることができるようになり、その結果として、顧客に向けたメッセージが体温のあるものとなり、相手に響くようになるのです。
どうすれば対象者に「憑依」できるのか
インタビューを実施するまで見ず知らずの他人だった対象者に、どうやって「憑依」することができるのでしょうか。まずは、インタビュー対象者が語った、印象的で具体的な一場面を切り出してみることがスタートになります。
インタビューの中で、どこかひとつでも強く共感した、またはよくわからなくてザワザワしたところを見つける。その部分について対象者に掘り下げて質問する。話し手のボディランゲージや声の抑揚にも注意を向ける。そして、これらを自分自身の経験や想いと対比させてみる・・・ 切り出したいくつかの場面をもとに、自分なりの「対象者の物語」を作っていくのです。
もちろん、完全に相手になりきることはできません。でも、このプロセスを真摯に行うことによって、私たちは他者である対象者の生活や想いの断片を、私たち自身の内面に宿しはじめていくのです。「インサイト」をつかむというのは、言い換えれば、自分の中にもある対象者と共通した断片を意識的に呼び覚まし、それを手掛かりとして、対象者自身も言語化できていない想いを引き出していく(洞察する)行為なのです。
「憑依」を通じて自己も変容していく
そしてインサイトをつかもうとする行為によって、私たち自身も気づいていなかったことに気づく、つまり私たちも変容していくのです。これが「憑依」の本質です。決して、自分の理解の範囲内で相手を分かったつもりになることではありません。その意味では、よくわからなくてザワザワしたところを掘り下げて、自分の中に眠っている手掛かりとの間にブリッジをかけていくことが、「憑依」するために重要なことと言えるでしょう。
一方、AIペルソナには憑依することができません。なぜなら、先にも書いたように、AIペルソナは一定の生活者セグメントの「平均値」でしかないからです。「平均値」には現実の人間はいないのです。
「憑依」のための訓練
N=1の対象者に「憑依」するには訓練も必要です。訓練としては、デプスインタビューを繰り返すことに加えて、小説や映画、ドラマの登場人物になりきってみることもお勧めします。そして何より大事なのは、インタビュー対象者や小説などの登場人物が行ったこと、語ったことの理由や背景を、深く掘り下げて考えてみることです。こうした訓練によって、たとえば自分よりはるかに年上の人や超富裕層など、一見、自分が全く経験したことのない生活を送っている人が調査対象であったとしても、その人の生活や想いの断片の中に、私たち自身にも共通する何かを見つけることができるようになるのです。
逆に、対象者にうまく憑依できないときは、自分が特定の視点に縛られているからかもしれません。このことに気づき、「インサイト」をつかもうとすることで自分自身を縛っている枠をはずし、私たち自身も変容していく。この変容の累積こそが、インサイト感度を高めるための訓練の中心ともいえるでしょう。他者理解とは、自己理解と表裏一体の営みなのです。
もっと身近な訓練の第一歩としては、自分を「対象」として掘り下げてみることも有効です。たとえば、「今日のお昼はカレーを食べた。自分は一体どういう経緯・気持ちでカレーを食べることに至ったんだろうか」とか、「なんだかムシャクシャする。気持ちが晴れない。この自分の気持ちには何が影響してるんだろうか」 などなど。答えは自分の中にあるはずです。
生活者の「課題」の本質を見極める
ところで、ここまでして対象者に「憑依」する必要はどこにあるのでしょうか。
実は、新規事業や新商品が失敗する理由としてありがちなのは、「それを本当に求めている人がいなかった」ということだと言われています。その背景には、社会が成熟化し、生活者はほとんどのものに満足しているということ、そして機能だけでは差別化しにくくなっていることが挙げられるでしょう。大勢の人がほしいと思えるようなものは、なかなか作り出しにくくなってきています。
対象者に「憑依」することで、課題の質を上げていく
上市前のアンケート調査で、新規事業や新商品のコンセプトの受容性がまあまあの結果だったとしても、想定顧客は「方向性はあっているけどなんか違うんだよな」とか、「お金を払ってまで欲しいというわけではないかな」とか思っているかもしれません。だから上市しても思ったほど売れない。
想定顧客の財布を開けるためには、こちらからの提案(プロポジション)が、顧客にとっての「意味」にまで到達していることが必要となります。そのためには、想定顧客に真剣に向き合うことが欠かせないのです。
デプスインタビューを行う目的は、新規事業や新商品の想定顧客が「確かにいそうだ」という確信をもつこと、そしてその想定顧客がお金を払ってでも本当に解決したいと思っている、「課題」の本質を確認することです。インタビューを繰り返すことで、この「課題」の解像度を上げていきます。さらに、対象者に「憑依」することによって、想定顧客が抱えている「不安」や「願い」を自分のこととして感じ取り、想定顧客の心を動かすメッセージを生み出していくのです。
多くの人ではなく、たった一人に刺さるものをつくる
その際、漠然とした「想定顧客」像ではなく、N=1に着目することが重要になってきます。多くの人に届けようとすると、かえって誰の心にも刺さらないものになってしまうからです。あなたが幸せにしたい、たった一人の誰か(N=1)に憑依して、その一人に完全に刺さるものをつくるのです。
その人の持つ強い「課題」を明らかにし、その課題の解決がその人にとっての「目的・意味」、つまりその人がなりたい状態を実現できる(と信じられる)ような事業・商品に仕上げていくのです。新規事業・新商品を成功させるためには、私たちが「幸せにしたい一人」を見つけ、その人に憑依するプロセスである「虫の目」こそが、欠くことができないプロセスであると言えます。
そして、一人に完全に刺さるものを作れば、その人が熱意をもって自分に似た人に伝えていってくれる。その結果、同じ悩みを持つ人、同じように価値を感じてくれる人が勝手に集まってきます。どのくらいの人が集まってくれそうかを論理的・計量的に推察していくプロセスが、次の「鳥の目」になります。
よくある質問
Q.
デプスインタビューは何人くらいに話を聞くのが良いでしょうか。
A.
研究によると、3人に聞けば必要な情報の6割強、5人に聞けば8割ほどが捉えられるとされています。それ以上に聞いても新しい情報は増えないため、想定顧客のタイプごとに3~5名、デプスインタビューを行えばよいと考えられます。
たとえば意思決定者と実際の利用者のように、選択や評価のポイントが違う場合や、ライフステージの変化などにより、明らかにニーズが異なることが予測される場合には、それぞれ別のタイプとして考えてみるのがよいでしょう。
Q.
AIペルソナは使わないほうがよいのでしょうか。
A.
AIペルソナの限界を知った上で使うことが重要です。本文でも触れたように、AIペルソナは実在する顧客ではなく、過去のデータなどインプットされたものからしか答えがでてきません。そこから顧客の深い感情をくみ取ることは難しいのです。また、生成AI特有のハルシネーション(事実ではないことを事実らしく生成してしまう)という問題もあります。
とはいえ、実際のアンケート調査やWeb行動データを基にしたAIペルソナであれば、少なくとも想定顧客の平均値を教えてくれるので、AIペルソナと壁打ちしながら、商品コンセプトや訴求ポイントなどの「たたき台」を素早く、かつ安価に作ることができます。この意味で利用価値はあると考えます。
Q.
たった一人の対象者から見つけたインサイトを、社内でどのように説明すれば承認を得やすくなりますか。
A.
まずは、その一人が、お金をだしてでも解決したい課題を持っていて、それが開発中の商品・事業によって解決できそうだと感じてくれているということを、インタビューでの発言(できれば動画)を用いて、社内に理解してもらうことが第一歩になります。その上で、その一人を発展させた「想定顧客」はどのくらいの人数になりそうか、いくらだったら買ってくれそうか、どのくらいの頻度で買ってくれそうか、などを検証した調査結果をもとに、市場規模を推定します。こちらについては第3回の「鳥の目」でお話しする予定です。
まとめ
一人の生活者(N=1)を深掘りしていく「虫の目」のプロセスについて、ご理解いただけたでしょうか。成熟化した社会においては、大勢の人が欲しいと思えるような商品・事業は作り出しにくくなっています。だからこそ、デプスインタビューで目の前の一人が本当に欲しいものを見つけ、その人を幸せにするコンセプトをつくりあげていくことが大切になっているのです。
次回は、顧客と顧客価値を構造化し、市場規模を推定するプロセスである「鳥の目」についてお話しします。
執筆者プロフィール

太田 恵理子(おおた えりこ)
一般社団法人 ワークフルネス 理事
プロフィール
キリンビール株式会社入社後、途中スイス・チューリヒへの遊学をはさみ、キリングループ内で40年以上にわたり、マーケティングと事業戦略策定に従事。自ら立ち上げたキリン食生活文化研究所では、生活者や社会の変化を捉えた経営への提言と、社内外との新価値共創を行ってきた。キリンホールディングスを退社後も人生100年時代のウェルビーイングに関する研究を続けている。専門はデザイン思考に基づくリサーチと生活者インサイト分析、シナリオ・プランニング。
資格
一般社団法人 日本ソムリエ協会認定 ソムリエ
著書・監修/セミナー登壇など
講演並びにワークショップ実施(日本マーケティング協会(2002年)、日本インフォメーション(2023年、2024年)、早稲田大学(2025年)他多数)。東京都ASAC等のスタートアップ支援プログラムのメンターや審査員も多数務める。
著書に『消費トレンド2014-2018』(日経BP社)

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