2021/02/16
執筆者: リサーチコンサルティング部 第2チーム シニアリサーチャー S.T
※NIリサーチャーコラムでは、当社の各リサーチャーが日々の業務等で感じた事を自由に紹介しています。
米国のバイデン政権がかたちを見せ始め、クオータ制とともに、アファーマティブ・アクション、グラスシーリング、マミートラックなど、聞いたことはあるけど、なんのこと?と思う言葉が聞かれるようになりました。
簡単に言ってしまうと、
・クオータ制
国民構成を反映した政治が行われるように、国会・地方議会議員などの政治家や、国・地方自治体の審議会、公的機関の議員・委員の人数を制度として割り当てること。
つまり、よく聞く話としては、「議員は男女半々にすべき」「女性の委員40%以上を目指す」といったことです。
・アファーマティブ・アクション
弱者集団の不利な現状を、歴史的経緯や社会環境に配慮したうえで、是正するための改善措置のこと。
例えば、米国の大学で、入学者の黒人・ヒスパニック枠を設けて、入学者全体に占める割合を増加させるといった制度のことです。
これは、差別や貧困の連鎖を断ち切るために、高等教育を受けられる機会を、より平等にしようという思想が背景にあります。
・グラスシーリング
いわゆる「ガラスの天井」で、トランプ氏との大統領選挙で敗北したヒラリー・クリントン氏の発言でも話題になりました。
主に女性がある役職より上に行こうと思うと、ガラスの天井=見えない何かがあって、上に行けない状況を差すことが多いようです。
・マミートラック
子育てしながら働く女性が、子育てと仕事の両立をしていく中で、昇進や昇給が難しくなるという現象のことです。
日本で、「女性が働く」という意味で言うと、1986年4月1日から施行されたいわゆる「雇用機会均等法」が大きな節目でした。
私自身は最初に就職したのが1985年で、この法改正の1年前だったこと、さらに育児休業法など様々な法律が整備されていく中で、子育てをしながら働き続けてきた世代なので、この30年余りの社会の様変わりには、当事者としても様々な思いがあります。
私は最初の就職の後、フリーランスで仕事をしながら、子育てし、さらに大学院に戻っているので、「ずっと組織で働き続けてきた人」とはやや状況が異なります。
しかし、私が就職した1985年には、男性と女性は入社時から基本給が違ったし、男性は幹部候補生、女性は補助職といった根強い役割分担は当たり前で、同年代には「翌年(1986年)に就職する」ことを選んだ人もいました。
でも、1986年から施行された「雇用機会均等法」は、私にとっては、「男並みに働いたら一人前に扱ってやる」と言われているような法律に思え、その頃から様々な疑問を感じていました。
ちなみに、育児休業法前に出産しているのと、当時は会社員ではなく、フリーランスで仕事をしつつ学生をしていたので、どこに行くにも小脇に娘を抱え、足でベビーラックを揺らしながら、勉強会に出て、レポート書くなんてこともしていました。
でも、不思議と、悲壮感も不公平感もなく、なんだか楽しく働いていた記憶しかありません。
周りの方々の理解もあったし、批判されることももちろんありましたが、面白がってくれる方々もまた同様にいらっしゃいました。
こちら側にも、「こんな条件なのに、仕事させてくれてありがとう」のような気持ちもあったように思います。
一方で、「総合職」という呪縛にとらわれ、燃え尽きていった友人も多くいます。
しかし、35年経ってみて、「こういう制度(法律)を作ることは、意外に無駄ではなかったのかもしれない」と思い始めています。
血気盛んだった若い時代、私も「女性が上にいけないのは、経験値が足りないから。経験を積ませてもらえないからだ」と思っていたこともありました。
一方で、「男性には負けない!」と必死に働く仲間を見て、「それが本当にあなたがやりたいことなの?」と思ったこともありました。
でも、なんだか覇気のない男性を見て、「男のくせに!」と思うこともあり、「何考えているのだ?」と、自分自身に突っ込みを入れていることもありました。
子どもの頃に「大工になりたい」と言って(当時の女性としては希望者が少なかった)親を泣かせ、先生を驚かせ、数学や物理が大好きで変わり者扱いされ、工学部に進み、周りの優秀な学生たちに囲まれ、「私の数学や物理なんてまだまだだ~」と思い知らされ、でも少々当時の普通とは違う道を歩んできたいわゆる「リケ女(理系女子)」(その頃にはそんな言葉はありませんでしたが)だったので、様々な委員会や審議会にも「女性枠」として呼ばれ、「あなたは数合わせだから、黙って座っていればいいよ」と言われるなんてことも経験し、そろそろ定年という年を迎えて思うのは、
「結局、誰もが、自分らしく働ける、生きられる世の中こそが大切なのだ」ということです。
良い悪いは別として、「黙って座っていればいいよ」と言った方も、「(女性は)黙って座っていろ」と言いたかったのではなく、「プレッシャー感じないでね」の意味だったのかもなぁとか、思える余裕もできました。
様々な会議に私が入ることで、「保育園のお迎え、小学校に上がってからは子どもの帰宅時間の制限があって、「終了は17時がギリギリです」と言えば、最初は難色を示していた方々が、「終わりが決まっていると、効率的に、有意義に進められたよ」とおっしゃってくださることもありました。
無理やりにでも様々な条件の人たちによって構成される組織には、自然に多様性が生まれます。
「こうしなければ無理」と思われていたことが、その多様性に寄り添おうとしたことで、「あれ?こうやってもできるじゃないか!」「いや、逆にこうした方が良かった」「これまでのやり方をしていては、気づかなかった」そんな風に、よりよい方向に変わっていくことこそが、多様性を目指す意味なのではないかと、この30年余の社会の変化を実際に目の当たりにして、今改めて思っています。
国勢調査をはじめとして、様々な統計では、少しずつ男女格差は小さくなっています。
もちろん、正規・非正規など、別の区分が課題になっていますので、そこを無視してはダメだということは別問題ですが。
クオータ制が叫ばれるようになったことで、それまで女性だからという理由だけで候補者名簿にも載らなかった、「ふさわしい人」が載るようになる。
そしてそれが当たり前になってくることで、そのうち、男だ女だ、1対1だみたいな話ではなく、「とてもよい組織ができたね」「成果が出たね」となることが目標であって、1対1にすること、何%以上にすることが最終的な目標ではないということは、これからさらに意識していく必要があるのではないかと思います。
私は、35年以上働いてきて、「女性だから損をした」と思ったことは、実はあまりありません。
そもそもは都市計画や街づくりの仕事をしていたのですが、いわゆる男性社会だった場でも、実際にベビーカーを押して道路の段差に気づくこと、赤ん坊のおむつを替える場所が意外に少ないことに困ること、ママ友からフラットに話を聞ける立場であったことなど、プラスにこそなれ、マイナスになることはありませんでした。
今は親の介護にも関わり、そして長年の仕事仲間たちとのつながりも、実際に会えなくてもSNSなどを通じてバーチャルでつながり、世界は広がっていくばかりです。
流れに任せていたら、今はマーケティングの世界で働いていますが、ここはまたある意味先進的です。
マーケティングの世界は、「普通に暮らしていること」が大きな武器になる業界です。
数値を読み解くにも、様々な立場の方々がどう感じるのかを、自身が経験した、経験していることだけではなく、想像できなければ、良い分析も提案もできません。
そして、その「普通」はめまぐるしく変わっています。
その昔、女性30代は、男性50代は、で分析できていたことが、性年代に関わらず、生活環境も意識も様々で、過去の思い込みでは分析も提案もできません。
そんな変化を、自分自身や周りの人々や、様々な情報から的確にとらえ、性別や年齢だけでなく、お体の不自由さや、生活環境や、何らかの不都合を感じて暮らしている方々が、いかにQOL(生活の質)を向上させていくことに寄与できるのか。そんな業界です。
それもあるのか、弊社にはママ社員も、パパ社員も、独身も、ディンクスも、時短社員も、様々な働き方をしている社員が当たり前にいます。
これから10年先、どんな会社になっているのでしょうか。
娘が社会に出る頃には、孫娘が社会に出る頃には、私のような思いはしてほしくないと、荒波の中で泳ぎ続けてきたと思って35年経つ私も、なんだか最近、「きっと違う未来がある」と思えるようになってきました。
リサーチコンサルティング部 第2チーム シニアリサーチャー S.T
工学部工学研究科博士課程都市・交通計画専攻で道路計画、交通計画、都市計画を学ぶ
公共系シンクタンク、大学研究所では総合計画・各種計画・施策の立案、
住民参加型まちづくり事業の推進を担当
高速道路建設の経済効果等を研究する中で、「満足度をお金に換算して経済効果に計上できないのか?」と
思い立ち、マーケティング理論に出会う
39歳でマーケティングリサーチ会社に転職
その後は各種公共施策の立案と並行し、商品開発、市場分析等を担当
海外調査(グローバルリサーチ)については、気づいたら16か国延べ40都市で50以上のリサーチを実施
4年前から現職
マーケティングを「一生の仕事」に